2013年に発売された橋本治+岡田嘉夫による『マルメロ草紙』の発売にいたるまでを8年間追いかけたドキュメンタリー映画
企画は刈部謙一
監督·撮影·演出は浦谷年良
神奈川近代文学館の「帰ってきた橋本治展」のイベントで一度上演されている。
12/7~ポレポレ東中野で上演
最初の1週間は上演終了後トークイベントあり
(以下敬称略)
橋本治脚本、演出浦谷年良のTV番組『パリ物語』に出演していたのが竹下景子
パリでの撮影の際、当時柄本の付き人だった岩松了と柄本がとても楽しそうにはしゃいでいた。
浦谷と竹下の最初の出会いは浦谷AD時代の「遠くへ行きたい」
『パリ物語』の脚本がどのように書かれたかは橋本治の『わからないという方法』に詳しく書かれていることを浦谷年良が紹介しいていた。その脚本が『桃尻娘プロポーズ大作戦』に掲載されていることも。
浦谷年良は初対面で衝撃を受けた人が、ちあきなおみ、竹下景子、橋本治の3人だったようで、橋本治とのそれは、『ピーマン白書』の脚本を依頼した際、最初の打ち合わせの日、早く着いた浦谷が近くでやっていた橋本治の日本語教室を見に行くと古文の訳を解説していたそれに衝撃を受け、打ち合わせ第一声でさっきの感じで『枕草子』を訳してとお願いしたそうである。これは橋本治も「テレビマンユニオンニュース」に書いてくれたと。
パリ物語のあと、竹下景子主演で『シャレード』日本版をやりたいと橋本治と2人で話した。『ティファニーで朝食を』はと浦谷が聞くと橋本はあれは妖精の話だからできないと答えたそう。
(上記の件は雑文集成パンセシリーズ『友たちよ!』集録の橋本×浦谷の2つの対談で話されている)
浦谷年良は、この映画を撮影している間、面白いものかわからなかったが、出来上がってみるとひとつの文化的遺産に立ち会えてラッキーだった、そのラッキーを皆におすそわけしたいと映画にした、と締めた。
柄本明のこの映画の感想:気の違った天才たちが怖くて笑えた。民主主義という言葉が頭をよぎった。
浦谷と柄本の出会いは、浦谷が演出をした『ちゃんばらグラフティ―』のナレーションを柄本に依頼したこと。
浦谷は、橋本治が歌舞伎を好きな理由が、よくわからないけど魅力があるところだと言っていることを紹介し、それが柄本の東京乾電池と通じる、と言うと柄本も大きく頷く。
柄本:今は説明がまずあるのが主流になっちゃっている
浦谷:この映画は、できるだけ説明を省いて、観る人が現場に立ち会えるように編集した。
映画の中で、橋本治が、我々3人(橋本、岡田、デザイナーの中島かほる)は必然性のないことしかやらないから、浦谷さんが編集に困っている、というシーンがあることに浦谷が触れると、柄本は、
くっだらないもの(最大限の賛辞)を作ってる感覚がとても良かった、と。今もこんなこと出来るんですかね、と言うと、浦谷は、
おそらく出来ないだろうけど、その精神だけは盗める、と言う。
浦谷が、橋本治が映画を観まくる人だったことに触れ、同じく映画を観まくる柄本に尋ねると、柄本は自分の両親が映画の話しかしない人だったと家系の問題だったと言い、今は息子の佑が一番観ていると言う。
浦谷は毎週大河で佑を見ていることを伝え、源氏を書いた橋本治が生きていたら、どう見たかを聞きたかったと言い、柄本に、息子に何か演技について言うことはあるのか質問すると、柄本は、具体的に言うのは「声を探せ」ということだ、と答えた。
すると浦谷も、メイキング映像を撮るときに意識するのが、画というよりは音で撮ることだ、と言う。
最後話が途中で終わってしまった感じだったが、浦谷が、
最後に橋本治と会った時に話した話
浦谷が『草薙の剣』がすごく良かったと言い、市川崑の『おとうと』の"うっすらと悲しい"ところみたいだったと伝えると橋本は、市川崑だったら、『処刑の部屋』の冒頭部分が仮想敵だと言ったとか。
最後のメッセージで浦谷は昨日と同じ、人生のお裾分け、という言葉を使い、それが『宮本武蔵』を撮ったときの内田吐夢監督の言葉だと言っていた。
以下平日昼のため観に行かれない
12/9 柴岡美恵子,加藤久美子(橋本治の実妹)+ 浦谷年良
12/10 中島かほる(装幀家/「マルメロ草紙」デザイナー)+浦谷年良
映画は今のところ12/28までポレポレ東中野で上映予定